ビートルズメンバー解散のその後(ポールマッカートニー編)




ビートルズメンバーの解散後の活動について書こうと思います。
今日はポールマッカートニーです。

ででん。

今のポールです。
ちなみにテレビ番組で幼稚園児か保育園児に「この人はおじいちゃん?おばあちゃん?」って聞いたらほとんどの子供が「おばあちゃん」って答えていて笑いました。

ポールってどんな人?

1942年6月18日(木)にリヴァプールにて出生。父は、セールスマン兼アマチュア・ジャズ・ミュージシャン。
1956年母・メアリー(1909~56)が乳癌で死去。この年、処女作「アイ・ロスト・マイ・リトル・ガール」を作曲。後に録音し1991年ライブ・アルバム『公式海賊盤』に収録。
1957年7月6日、友人にジョン・レノンを紹介される。10月18日にザ・クオリーメンに加入。名門リヴァプール・インスティチュート在学中。

西ドイツのハンブルクなどで下積みを経験。スチュアート・サトクリフ、ピート・ベストの脱退などいくつかのメンバー変遷を経た後、ジョン、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターとの4人で1962年、「ザ・ビートルズ」としてパーロフォンよりレコードデビューする。

(wikiより引用)

こんな感じです。

引退後の活動

1971年、ウイングスを結成。

ウィングス時代はこんな感じです。雰囲気が違いますね。

ポール麻薬で捕まる

日本公演を行うためにウィングスのメンバーと日本に来たのですが(1980年1月16日)
成田空港で、大麻取締法違反(不法所持)容疑で現行犯逮捕されてしまいます。
もちろん、日本公演は全て中止です。
ウィングスはこの逮捕をきっかけにグループとしての活動が休止状態に陥いります。

数日間の勾留され、日本からイギリスに送還されたポールは、ソロ・アーティストとしての活動を9年ぶりに再開します。
10年ぶりとなるソロ名義のアルバム『マッカートニーII』と先行シングル「Coming Up」で成功を収めた。
休止している音楽活動を再開させつつあったジョン・レノンがこの「Coming Up」を聴いて再起への意欲を一層奮い立たせたという話は有名ですね。

このとき、ポールが留置場で看守の警官に頼まれて色紙にサインを何枚も書いたというエピソードもマニアでは有名です。

ジョンレノンが殺害されたときのポールは?

ジョンレノンが射殺された事件は有名ですよね。
ポールはそのとき、ショックで数か月間、自宅に引き篭もって過ごしていたそうです。
解散の時に仲が悪くなっても、ショックなんですね。



たまーに日本にきてくれるポール

ファンは行ったことがあるだろう、ポールの日本公演。
僕も行きました。生で見れて感激でした。

実はポールは日本で逮捕された後、ブラックリストに掲載されてしまい日本への入国は永久に不可になります。
しかしビートルズ・シネ・クラブが1989年春にポール入国許可を求める署名活動を全国的に実施し、ポールの世界的な文化貢献の認知度を考慮して日本入国の特別許可を法務省が下したんです。
そしてついに日本での逮捕から10年後の1990年3月に日本公演が叶いました!

ポールは、1993年、2002年、2013年、2014年、2015年、2017年、日本で公演しています。
僕は2015年、東京ドームでライブに行きました!

ポールも今や75歳です。
いつまできてくれるのか。長生きしてほしいです。

ポールは一回死んでいる?

おそらく、1番有名な話を紹介します。
みんな知っているこの写真、てかアビーロードのジャケット

①左利きのポールが右手でタバコを持っている
②他の3人は左足を踏み出しているのにポールだけは右足を踏み出している
③ポールはクツを履かず裸足で歩いている。裸足は死体を意味する
④横断歩道の向こうにある白い車のナンバーが「28IF」。
これは「もし(if)ポールが生きていれば28歳」という意味

こんなんよく見ないとわからんのに。。

でも、当時ポールは28歳じゃなくて27歳だったってオチです。

有名になりすぎるとわけわからんこと言われて大変ですね。

まとめ

こんな感じ(かなり解散後の活動を省略しましたが)で今でもポールは精力的に活動しています。
まだまだ、新曲を出してくれると思いますし、日本にもきてくれることでしょう。
楽しみにしていましょう!

次はジョンレノン!